1-4 弥生人も田植えをしていた
1-4 弥生人も田植えをしていた
当時のイネの栽培技術はまだ未発達でした。それでもイネの種もみを直接水田にまく直播(ちょくはん)法とともに、苗代で育てた苗を田植えで本田に移す移植栽培法も行われていたようです。耕地としては湿田だけでなく、半湿田ないし半乾田も利用されていました。
収穫の時には、イネの穂先を石包丁で刈り取り、これを天日で乾燥して、高床の倉庫に貯蔵しました。脱穀の時には竪杵(たてぎね)や竪臼(たてうす)が使われていました。基本的に農具は木製で、弥生時代になると鉄製刃先の鎌や鍬(すき)が使われるようになったのです。
ここで、留意しておくことが2点あります。第1点はいったん米が導入されたからといって、それまで主食であった堅果類が、完全に米におきかえられたわけ ではないということです。弥生時代の遺跡からしばしば発見される堅果類の貯蔵穴からもわかるように、当時は主食が堅果類から米へと移行する、いわば転換期 にあったと考えることができます。
第2点目は、弥生時代前期において水稲栽培が北九州から東海地方まで、急速に伝わったという事実です。水田稲作には、灌漑、収穫、保存、調理・加工技 術、灌漑・農耕用の農具が一括して必要でした。全く新しい技術が短期間に広まったとは考えにくいので、稲作導入以前にも何らかの農耕が縄文時代におこなわ れ、その技術をイネ用に転用したのだと考えると、水稲栽培技術の急速な伝播もうまく説明できるのです。