2-1 ドングリを食べていた縄文人
2-1 ドングリを食べていた縄文人
イネが日本にもたらされる前、日本列島では狩猟、採集、漁労に大きく依存した生活が営まれていました。これが縄文時代の生活様式です。各地に多くみられる縄文時代(前期以降)の遺跡から、地下の貯蔵穴(図2-1)に保存されたトチ、ナラ、クルミ、クリ、カシなどの堅果類の遺物が大量に出土しています。このことから、食料の供給が不安定な狩猟・採集社会において、堅果類の保存により、食料獲得の不安定さをかなり是正できたのではないかと考えられます。さらに、これまでの研究から、オオムギ、エゴマ、ヒョウタン、豆類などの作物が栽培されていたことが、遺物の分析からわかってきました。また、クリなども栽培ないし半栽培の状態を利用されていたと考えられています。こうした生業活動も食料の安定供給に寄与したと思われます。
食料と人口との関係を考えてみましょう。日本列島を東北・関東・北陸・中部・東海・近畿・中国・四国・九州の9ブロックに分け、各地方の人口を推定してみます。その結果が表2です。この表からもわかるように、縄文時代で人口が最大になるのが中期で、日本の総人口は約27万人でした。これを地域別にみると、人口の分布(図2-2)は西日本よりも東日本がより密で、東北と関東だけで全体の半分以上を占めています。この人口分布の地域的な差異は、野生動植物の資源量が日本列島の東と西で非常に違うことが原因と思われます。このため、東日本では西日本よりも安定した豊かな生活が営まれていたと考えられています。
表2 縄文時代から歴史時代に至る地域別・時代別の推定人口数 (人)
地域\時代区分 | 縄 文 時 代 | 弥生時代 | 古墳時代 | 江戸時代 | |||
早期 | 前期 | 中期 | 後期 | ||||
東 北 | 2,100 | 19,200 | 46,700 | 43,800 | 33,800 | 288,600 | 2,473,000 |
関 東 | 10,300 | 43,300 | 96,600 | 52,100 | 100,000 | 943,300 | 4,295,700 |
北 陸 | 400 | 4,200 | 24,600 | 15,700 | 21,000 | 491,800 | 2,307,600 |
中 部 | 3,200 | 25,300 | 71,900 | 22,000 | 85,100 | 289,700 | 1,694,200 |
東 海 | 2,400 | 5,000 | 13,200 | 7,600 | 55,900 | 298,700 | 1,792,200 |
近 畿 | 300 | 1,700 | 2,800 | 4,400 | 109,400 | 1,217,300 | 4,941,300 |
中 国 | 500 | 1,300 | 1,200 | 2,700 | 59,400 | 839,400 | 3,067,900 |
四 国 | 600 | 400 | 200 | 2,700 | 30,500 | 320,600 | 1,760,500 |
九 州 | 2,100 | 5,600 | 5,300 | 10,000 | 106,300 | 710,400 | 3,300700 |
合 計 | 21,900 | 106,000 | 262,500 | 161,000 | 601,500 | 5,399,800 | 25,633,100 |
(S.Koyama 1978による)
狩猟・採集社会における人口は、農耕社会に比べ一般的に低いとされていました。こうした状況の中でも多くの人口を維持することができたのは、季節によってつぎつぎと異なる種類の食料資源を継続的に利用できたことや、堅果類を保存し、食料自体を安定して供給する技術を知っていたからと思われます。