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6膳と弁当箱の歴史
6-1 膳の始まりは奈良時代

 かつての日本の家屋には、専用の食堂はありませんでした。料理を並べた膳を据えた場所が、即、食堂になるという格好で、しかも、部屋そのものが普段の間と客間に分かれていたので、奥の間は来客の時か、何か特別のことがある時に使いました。通常は、台所や囲炉りにある板の間で食事を摂っていました。
 今から1200年ほど前の平城京跡から出土した食器や食具の中に、ひのきで作られた折敷(おしき)がみつかりました。折敷は今もお茶事などで使われる足のない膳のことです。この折敷に料理を並べて使っていたわけですが、庶民はムシロやゴザで作った、ランチョンマットに似たものを使っていました。宮廷における儀式の場合には案(つくえ)を使いました。夏の宴会の時はハスの壮(さかり)葉を膳にしたことがあったことが万葉集に記されています。
 平安時代になると、貴人達は高杯(たかつき)を用いるようになります。折敷の四方に、宝珠形の穴をくり抜いた台をつけた衝重(ついかさね)が出てくるのもこの時代です。宴会の場合は案や机を用い、スツールに坐ることもありました。室町時代になると、衝重は三方とか供饗(くぎょう)と呼ばれるようになり、折敷に足をつけた脚打ち折敷が生まれ、それが膳の原形となります。
脚の部分が蝶や猫足といわれる膳、またはスマートなデザインである宗和膳が生まれるのは、近世、江戸時代です。
 しかし、庶民の場合は近世に入っても膳を使うのは何か特別の時だけでした。一般に用いられていたのは箱膳です。箱や引き出しの中に個人所有の器や箸をしまうようになっていて、食事の時にふたを返して器を並べます。もともとは、禅院で使われていたのですが、手軽さがうけて農家や商家や工人の家で広く使われるようになりました。
 卓袱台(ちゃぶだい)という丸や長方形の足つきの低い食卓が普及するのは明治の中頃です。足が折りたたみ式になっていて、中央に七輪という炭を燃料とするコンロをいつでも組み入れ、すきやきができるように設計されたものもありました。これは主に関西で使われました。その原形になったのは、江戸期・元禄の頃から長崎を中心に流行った卓袱(不精進)や普茶(精進)料理を並べる食卓でした。
 専用の食堂が家庭に定着するのは第二次世界大戦以後、昭和30年代からのことで、これと軌を同じくするように食卓と椅子というスタイルが普及し、今日にいたっているのです。
 いったい、これらの折敷や膳に並ぶ料理の数は通常どれくらいだったのでしょう。平城京跡出土の食器セットをみると、基本は飯椀、皿の一汁一菜だと思われます。位の高い人たちでもせいぜい2〜3菜。平安末期の村の長(おさ)の食事図をみると、ふちのない折敷の上に、飯・汁がそれぞれ一つと菜が三つ並んでいるので、どうもこの一汁三菜という組み合わせが、日本人にとって最良のものとの考え方が定着し、室町時代になると五器(ごけ)盛りという形式が生まれます。後に、これを本膳と呼ぶようになりました。

 織田信長や豊臣秀吉に仕えた日本の茶道の大成者千利休が語った茶の心をつづった『南方録』には「汁ひとつ菜は二つないし三つを馳走の旨とすべし」と語っています。飯中心の食事は一汁三菜が一番腹に納めやすかったと思われます。とはいっても収入の低い者は、この当時でも一汁一菜が基本でした。それは日常の食事の品数で儀式や祝い事、祭りなどの場合はたくさん並び、どちらかというと、酒の肴になるものでした。
 膳や折敷に正面を正して座り銘めい皿に盛られた料理を食べるとなると、料理と口までの距離が長いので、食べやすくするために自然と器を持つ習慣が生まれ、特に一番あげさげの多い飯碗は、取りやすくするため箸を持つ手と逆の左手前に置くようになります。このあたりから、器を手にとって箸で食べる作法、配膳法が発達し、今日、食卓と椅子で食事を摂る場合にもその辺の伝統が受け継がれているといえましょう。

めおと茶碗とめおと箸
 ごはんを食べるためになくてはならない食具と食器は飯碗と箸。いずれも個人に属しており、こと箸に限っていえば、親兄弟であっても他人が使うともっとも嫌がられます。不思議なことにこの二つに男用と女用があります。男用は大きくて女用は小さいのが普通で、その大小のある理由(わけ)を知らない女の人は男女差別だなんていいます。しかしそれは逆で女の人をとても尊重していた結果から生まれた大きさなのです。それは男のひとの手と女のひとの手とは大きさが違い、例外はありますが女の手の方が小さいのです。日本の食具や食器はすべて手ごろといって、身体に合わせて作ります。
 飯碗は男もので直径12cm、女もので11.4cm、重さは男もので100〜105g、女もので95〜100gとやや小ぶりになりますが、東北地方ではややこれより重くなります。
 箸の材質はいろいろですが、長さは自分の身長の15%がころあいです。重さは関西で男ものが15g、女ものは13gになりますが、飯碗同様東北では10gほど重くなります。かつて膳で食事していたころ、あぐらをかいて食事をする男膳は低く、正座して食事をする女のひとの座高が高くなる分、膳も男ものより高くなっていました。これほどに女のひとに気づかった食具、食器を作る国は世界ひろしといえどもどこにもありません。

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