私たち日本人は、主として米を粒のまま炊くか、蒸すかして食べてきました(粒食)が、そのほかの利用法として、どんなものがあるでしょう。一口に米の加工品といってもさまざまで、主なものに餅・団子・スナック菓子酒・調味料すし加工米飯めん・パン飲料(ソフトドリンク)などがあります。それぞれ日本人の生活にゆかりの深いものですが、まずは餅について考えてみましょう。 古名を”もちいい”とよび、それに中国語の(ぴん)という文字をあてはめました。「」を用いて「くさもちい」と奈良時代は読ませています。中国ではといえば小麦粉で作った焼菓子をさします。モチ米を蒸して、ついた食べものを中国では(マーツー)とか(ツーパー)といいます。主として南西中国の少数民族が食べています。マーツーともちは、語源的に関連性があると考えられており、台湾や沖縄ではムーチと呼びます。東南アジアの山岳部の人達も食べるのです(ラオスや北部ベトナム、タイ東北部、このあたりはモチ米が主食で、毎日強飯を食べます)。 狭義には餅はモチ米を蒸してついた食べ物ですが、視野をもっと広げると、粉にして作るモチもあるのです。水を含ませたモチ米を水とともにひいて粉にします。これを湿式製粉と呼び、中国の江南地方ではこれから餅状のものを作ります。現在市販されているあん入りの餅の多くはモチ米を粉にしたモチ粉(白玉粉とは違う)を使っています。モチ粉を使用することによって手軽に、しかも品質を均一に、いつでも作ることができるようになりました。のし餅の中にもモチ粉から作ったものが増えています。また、ウルチ米の粉である上新粉で作る餅にかしわ餅があります。韓国のトック(餅)は上新粉で作ります。だからプチプチするのです。 今でこそ餅は、いつでも食べられますが、かつては、何か特別な時の食べものでした。たとえば、冠婚葬祭や接客の時など。そのため、餅には、神や精霊が宿ると信じられ、神がかり的な食べものとみなされていました。“力もち”などの言葉もこの辺から発生しているのでしょう。 その神聖な餅の代表的なものが、正月に床の間に飾る鏡餅です。正月、家々を訪れる年神様の依代(よりしろ)として、しだの葉を敷いた三方の上に、串柿やだいだい、ゆずり葉、昆布などを飾りました。
餅はおそらく弥生の頃からあったと思われます。また、鏡餅らしきものは奈良・平安時代からあり、これを的に矢をいると白鳥になって飛んでいったという説話も風土記の中に記されています。 鏡餅を他の供物とともに供え、これを拝んで歯(よわい=年齢)を固める歯固の儀は平安時代に始まりました。というのは、古代の鏡(銅製)は剣(つるぎ)、曲玉(まがたま)とともに三種の神器のひとつに数えられていたので、円板状の大きなお供え餅の型が、その宝鏡に似ているところから鏡餅と呼ばれました。その後鏡餅は後日鏡開きをして分かち合って食べました。 竪杵で餅をつくにはかなりの力と人を必要としたため、気軽に餅を食べるようになるのは横杵で餅をつく元禄の頃からだと思われます。これ以降、餅は行事とは関係なしに食べる機会が多くなってきました。今でも地方の名物のなかには餅に他の材料を混ぜた粟(あわ)餅、黍(きび)餅、栃(とち)餅等がありますが、風味をつけるためより、モチ米を節約するために増量材として混ぜるのです。