現在、すしといえば握りずしが一般的で、しかもすしの代名詞のようになっています。しかし、もともとは冠婚葬祭など特別な日に食べる郷土料理としてなれずしや押しずし、箱ずし、巻きずし、ちらしずしなどが主流でした。これらは各家庭でも古くから受け継がれてきたもので、材料もその土地の産物を使うため、自然と土地や家庭に根ざした、生活感ただようすしが多くみうけられます。各地にいろいろな漬物があるように、すしもまた郷土色豊かです。有名でないものの、ごく特定の狭い地域や家庭でしか作られないものも合わせると、その数は驚くほどになるでしょう。これらの個性的な郷土料理としてのすしを手軽に味わえるのが駅弁です。駅弁の半数以上は、押しずし、ちらしずし、いなりずしなど、すしを主体としたものです。
このように、各地で伝えられているすしは、押しずしやちらしずしが主流ですが、私たちがすし屋で食べるのは、江戸前の握りずしが多いのではないでしょうか。押しずし、箱ずしなどの大阪ずしが圧倒的に多かった大阪でも、この頃はすし屋の売り上げの大半を、握りずしが占めるようになり、逆に大阪ずしを扱う店は数えるほどになりました。かつては、大阪名物の冬の横綱格であった蒸しずしも、ここのところ、めっきり減りました。それほど、握りずしの人気が高く、国内はもちろん、アメリカをはじめとする海外においても、すしといえば握りずしをさすようになりました。そして、外国では回転ずしが席巻し、suchi、succiと横文字で表現されるようになりました。
握りずしがすしの主流となったのは戦後のこと。終戦後の統制時代に、わずかな配給米をすしと交換する、委託加工制度が敷かれたことがきっかけです。この制度を考えたのは東京のお役人、だからにぎりが中心でした。にぎりずし5個と巻きずし5切れが一人前。客は工賃を払って食べました。これによって、地方の都市部の人々は、だんだん握りずしの味に慣らされ、次第に全国にも広がっていきます。しかし、地方で握りずしが食べられるようになるのは、その後、しばらく経ってからです。大型電気冷蔵庫の普及と大いに関係があり、昭和30年代以降、高度経済成長期に入って冷凍技術の向上と、さらに、交通網の発達とが新鮮な魚介類の流通を可能にしました。所得水準が上るにつれて、全国どこでも握りずしが食べられるようになったのです。
握りずしが普及するにつれて、すし産業が急成長します。高級すし屋だけでなく、街角のテイクアウト(持ち帰り)専門店も、全国レベルでチェーン化し、今や子供のおやつにまで広まっています。
ところで、近年は巻きずしの変形である手巻きずしがブームを呼んでいます。握りずしよりも具が豊富で、魚介類に限らずハムや野菜、果物などを用い、なかには、アイスクリームを入れるすしまであります。いろいろ自分でアレンジできる楽しさと手軽さとが、家庭でも大いに受けているのでしょう。すし飯と焼きのり、好みの具さえ用意すれば子供でも作れますし、自分で巻いて食べることがさらに、人気を高めています。
忙しい主婦にとって最も便利なのが、百貨店やスーパーマーケット、テイクアウト店で売っているパック詰めのすし類。味よりも見た目が勝負といった風で、のりよりも具を外側に出して見栄えをよくした細巻きずしや、両手で支え持ち口を大きく開けて食べなければならないジャンボいなりや巻き、新しい趣向をこらした洋風ちらし、ハムやチーズ、焼き鳥、牛肉の時雨煮、スモークサーモン、ニシンの燻製などの握りずしや細巻き、変わり巻きがあります。さらに、年中行事に合わせた雛ずしやかぶとずし、七夕ずしからクリスマス用のデコレーションずしまで子供向けの新顔も並んでいます。最近では、海苔業界の苦肉の作戦にのって、節分の丸かじり巻ずしはバレンタインのチョコレートのように急成長しています。